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ぼくのプレミア・ライフ(上之巻)
投稿者: Urabancho 掲載日: 2004-12-4 (3227 回閲覧)
1997年
映画『FEVER PITCH』がイギリスにて公開される。当時の日本はJバブルがはじけてブームに腰掛けていたファンは去っていた。残ったサッカー好きだけがサッカーW杯フランス大会の予選に一喜一憂する。ふがいない戦いに「ポルシェを乗り回してないでピッチを走れ!」「六本木で女を転がしてないでピッチでドリブルしろ!」と辛辣だったが、みんな心の中では信じていた。そして11月16日、マレー半島最南端の都市、ジョホールバルで奇跡が起きた。

明けて1998年、チャンネル4が日本にセールスをかけてきた。多くの配給関係者は『FEVER PITCH』を観ることになるが、どこも買わなかった。「サッカー映画は売れない」。初のW杯出場に沸いているようでも、周囲の目は冷たかった──。

「これをどこかで出してもらえないか」。立ち上がったのは字幕翻訳家志望の女性、有澤真庭。このプロジェクトFPは、制作費の私的流用はおろか、協賛金をもらうことなど、もちろん考えていない。DVD化への道は困難を極めるが、有澤の情熱にうたれた女性たちが集結し、感動の結末を迎えるのだった。
ぼくのプレミア・ライフ(FEVER PITCH)』は、埋もれそうになった映画に光をあてるべく奮闘した、熱き女性たちの物語でもある──。(田口トモロヲ風でm(_ _)m)
♪ 風の中のすばるぅ〜 砂の中の銀河ぁ〜。

1998年
というわけで、次のW杯は2002年。日本と韓国による共同開催だ。フランスW杯を3戦3敗で終えた日本も結果を出さなくてはならない。岡田監督の辞意を受け、日本サッカー協会は次期代表監督の人選に入った。マスコミはアーセナルの監督であるアーセン・ベンゲルの名を盛んに報じていた。ベンゲルは1994〜1996年に名古屋グランパスエイトの指揮を執り、低迷していたチームを立て直して優勝争いできるまでにした人物。天皇杯とゼロックス・スーパーカップのダブルタイトルをもたらし、Jリーグでヨーロッパサッカーを取り入れて成功した唯一の監督という評価もあった。しかし、決まったのはフィリップ・トルシエ(誰?みたいな)。ベンゲルはアーセナルとの契約が残っており、代表監督就任を固持したのだった。

2001年
まだ春浅いある日のこと、字幕翻訳の勉強用映画を探していた有澤は『FEVER PITCH』と出会い、これまで恋に落ちたのと同じやりかたで恋に落ちた。「この映画に日本語字幕を付けよう」。説明などできない。判断力を失っていたのだ。その後、恋が痛みや混乱をもたらすなんて考えもしなかった。

翻訳の勉強なら日本未輸入作品のほうがよい。とはいえ、サッカーはおろか、イングランドのファースト・ディビジョン(現プレミア・リーグ)のことなど全く知らないのだから、セリフの聞き取りもままならない。しかし、幸いにもDVDにはクローズド・キャプションが付いていた。それを手がかりにしてなんとか翻訳を終える。

「ドゥドゥッビドゥ〜」。自分が字幕を付けた『FEVER PITCH』が上映され、DVD化されるさまを夢想する毎日。山田花子のようだった。

早速、作品紹介のホームページを作ってみるが何の反響もない。ふと我に返り、具体的な働きかけを行うことにする。
コリン・ファースが出演している『ブリジッド・ジョーンズの日記』が9月に公開されるの知り、配給するUIPのビデオ作品を手がけている会社にボールを蹴り込む。「『FEVER PITCH』出さない?」──。

「あなたが権利元なら話を聞こう」というしごくごもっとな返事が返ってきた。だが、クリアするだけ良心的だ。

昔のイングランド・サッカーのように、中盤を省略してゴール前に放り込んで肉弾戦を挑む戦術は通用しない──有澤はへこんだ。そこへ老舗映画誌の編集者がゲームメーカーを投入する。映画ライターの山中久美子だ。コリンの大ファンだった山中は話に乗ってくれた。「時も経っているし権利関係から確認しなくっちゃ」という基本戦術を授かった有澤は、日本に権利が売れてないか、いくらぐらいで売るか、チャンネル4に問い合わせメールを出す。しかし、返事は来ない。

テレビ放映の線はどうか──山中が動いた。衛星放送の映画買い付け担当者に問い合わせるも、「単独で未公開の映画を買うことはしない」とのことだった。やはり玉砕戦法は通じない。二人は中盤の組み立てについて話し合う。

山中がロンドンで映画の買い付けをしている知人に頼み、チャンネル4に問い合わせてもらう。そして、かなり後になって返事が来た。「『FEVER PITCH』の権利はまだavailable」──。

有澤は速攻で知り合いの映画宣伝会社の社長をドリブル突破した。創刊した映画誌のパーティの席で、ある配給会社に打診してもうらう。すると先方が興味を示した。担当者と話が盛り上がり、チャンネル4と交渉に入ると約束してくれた。

そのパーティでは、衛星放送でブンデスリーガ中継を手がけるディレクターにも会えた。すかさず山中がフェイントをかける。「ヨイショっと♡」。

映画に興味を持ってくれた。後日『FEVER PITCH』を観てもらい、字幕監修を引き受けると約束してもらった。山中は人を乗せるのがうまい。まだ上映が決まったわけではないのだ。

来年のW杯の時期に合わせて上映するには年内に決めなければ──二人は焦って動いた。劇場にも回ろうと山中が提案。どの小屋がいいかアイコンタクトをとる。「シネパトスと見せかけて、シネラセットぉ〜♡」と山中がキラーパスを出す。「『FEVER PITCH』は一度検討したが、サッカーものだから、などの理由でやめた」と弾かれる。「サッカーものの『シーズンチケット』は上映したのになぜっ♡」とリバウンドを再度蹴りこむが、「同じサッカーものでも、主人公が子どもで貧しいなどのウケる要素があったから」とピッチの外へ蹴り出されてしまった。

肩を落とす二人のもとへチャンネル4との交渉結果が届く。「両者の金額に開きがあり過ぎて不成立」。イングランドの壁は高かった──。

すでに12月に入っていた。攻撃の糸口が見い出せない有澤は知り合いの宣伝マンに相談する。
「夕張ファンタに出品してはどうか」──監督が3作以内の新人という資格を満たさず実現せず。
「公開するならレイトショーがよいのでは」──。
だめだ、相手ゴールに近づくこともできない。映画公開はあきらめ、ビデオスルーに絞ったほうがよいのか──。

こうして激動のシーズン2001は終わった。しかし、二人はひるむことなく、『FEVER PITCH』を日本で出すための戦いを続けるのだった。次週、波乱のシーズン2002お送りします!(国井雅比古風でm(_ _)m)

♪ ヘッドラ〜イト テールラ〜イト 旅は〜まだぁ終わらなひぃ〜

ぢゃ、またね。(^_^)/
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