2020年度から始まる新学習指導要領には、これからの社会が、どんなに変化して予測困難な時代になっても、自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、判断して行動し、それぞれに思い描く幸せを実現してほしい[1]。という願いが込められている。自ら学ぶ力を育む授業の創造が提唱されて久しいが、櫻井は、自ら学習するプロセスモデルがうまく作動するには、「安心して学べる環境」と「情報(教育・授業)」が必要だとしている[2]。内発的学習意欲は知的好奇心を基板とするため、乳幼児期から働く。ただ面白いから没頭するが、小学校高学年からの未来志向、第二次性徴の発現、メタ認知能力が芽生え、時間展望のもとに学習意欲が生まれ、自分の学習をコントロールできるようになる。このような自己実現のための学習意欲が中心のプロセスモデルは、認知能力(主にメタ認知)が充実してくる小学校高学年以上の子供で成り立ち、「見通し」と「振り返り(自己評価)」が特徴的とされる。これらの内発的学習意欲のプロセスモデル(学習指導)を支えるのが「安心して学べる環境」であり、それを作るのがこれからの生徒指導だと考える。生徒との日常的な関わりによる相談援助活動(生徒−教師関係)は生徒指導の「いろはの“い”」であるならば、諦めることなく関わることで有能感を育て、課題に自分で対処できるようにする。

そのような生徒指導はコーチングに近いのかもしれない。人間の変革の促し方は、専門知識を教えるティーチャー、能力を引き出すコーチ、一緒に考えるコンサルタント、一緒に走るファシリテーターと4通りある。ティーチャーとコーチは専門知識が必要であるが、ティーチャーと比べるとコーチは専門知識が重要ではない。スポーツに例えると、コーチよりもトップアスリートの方が技術的には上なので、一流のコーチになるための本質は技術を伝授することではないと言える。安心して練習できる環境を作り、日常的な相談援助活動を通じて能力を引き出すことにある。つまり、教師には、教科指導よりも生徒指導の能力が重要ということである。時には一緒に考え、一緒に走ることが必要かもしれないが、一緒に考えられる専門知識があれば良く、その人への興味があれば一緒に走ることができる。

学校教育には大きく分けて学習指導(文化的な知識と技能の獲得)、生徒指導(個々の生徒の生きる目的・ニーズの発見と実現)、管理指導(教育秩序の形成・維持)と3つの機能が存在するが、教育目的により内容は異なる。近代になって誕生した国民教育制度としての「学校」の教育のタイプは概ね以下の3つに分けられる。

A:教科学習が中心。ドイツやデンマークなどに見られ、学習指導が教師の役割であり、課外授業は保護者の役割となる。

B:「労働」を重視。ロシアやキューバ、中国などに見られ、「社会主義思想」など国の思想を反映した教育を行う。

C:教科・教科外学習を推進。イギリスやアメリカなどに見られ日本はこのタイプに属する。

日本が属するCタイプで比べてみる。アメリカの教育目的は「国民の育成」だが、日本は2006年改正の教育基本法の教育の目的にあるように「人格の完成(を目指した国民の育成)」となっている。近代化過程で生活教育を基礎として、幅広い人間形成を担う社会機関として学校が形成された日本では、学習指導は教科担任(教師)、生徒指導は学級担任(教師)、管理指導は生徒指導部(教師)が主導する。アメリカでは、学習指導(インストラクションプログラム)は教師が主導し、生徒指導(ガイダンスプログラム)はカウンセラーが主導、管理指導(ディシプリンプログラム)は管理職員が主導する。このように学校教育のコンセプトの違いから、アメリカの分業型に対し、日本は統合型となり教師に重労働を強いるシステムになっている。例えば、学習により得た文化的知識を自分の人生にどう生かしていくか、学習指導において生徒個人の興味を気にするなら、それは生徒指導の領域になる。自己実現のための学習意欲が中心のプロセスモデル(学習指導)を支えるための生徒指導、校則とその運用といった管理指導を高度に機能統合していくのがこれからの学校教育ではないだろうか。そのためには、教師の重労働解消と資質能力の向上が必須となる。

経済パラダイムの大転換が進行し、先が見通しにくい大変革時代を乗り越えるため、内閣府は情報社会に続く⽬指すべき日本の未来社会像を「Society5.0」として提起した[3]。人、モノ、技術、組織等が様々につながることで新たな価値創出を図っていく社会である。このような社会では、教育の目標も「生産性の高い熟練した産業労働者になること」から、「誰もが利用でき、公的にシェアされる財となった知識を用い、コミュニティで創造性を発揮すること」に変わる[4]。地域、年齢、性別、言語等による格差なく、多様なニーズ、潜在的なニーズにきめ細かに対応するには、教師1人では不可能であり、学校全体でチームとして取り組む。教師の社会性を養うような公務分掌は積極的に行うべきだと考える。地域との連携・協働を通じて社会との接点を多く持つことが視点を増やし、課題探究型の学習、共同的な学び、新たな学びを展開する実践的指導力が身につくことにつながる。

これからの学校教育を作るには、教員養成システムの変革も必要である。アメリカの教員養成は、高等教育機関で行い、免許主義・免許更新制や充実した現職教員の研修といった日本との共通点がある。しかし、日本が中央集権的に教育制度を整備してきたのとは対照的に、アメリカでは州に大きな政治的権限が置かれ、ボトムアップ的に教育制度が整備されてきた。免許制度の仕組みは各州で異なるが、概ね共通するのは大学卒業後、各州により予備免許状が発行され、一定期間の職務経験や上級学位・必要単位数の取得を要件として、正規教員免許状が発行される。上進制であり、多様性への対応、低所得者層や人種・民族的マイノリティの学校で「社会正義」を実現できる教員を養成する。ドイツの場合、職業学校の教員は上級職に位置付けられている。教員免許状を取得するまでの期間は日本より長く、二段階の試験で理論と実践の面でより完成された教員として採用まで養成する。教員に重要なのは教科を教える知識、教員の専門知識が重要視されてきたが、増加する言語的・宗教的多様な子供への対応が問題となってきた。イギリスの場合、教員は国家資格で更新制度はない。初等・中等教員養成の主要ルートは3種類あるが、大学で教育学以外の第一学位を取得し、その後一年間の教職課程を経てPGCE(学卒者教員免許状教育)を取得するルートが中心となっている。カリキュラムは、教科指導、生徒指導、学級経営などの実践的な内容に重きが置かれている。これは、専門科目の内容は第一学位において学んでいるという前提から、高学歴化ではなく実践的な指導技術の向上に焦点が置かれ、教育実習機関も長い[5]

日本では教員の「修士化」が検討されているが、第一学位から教職課程を切り離し、イギリスのように実践的な教育技術の訓練・社会経験を磨いて第二学位で取得できるようにすべきだと考える。多様化する生徒指導・学校教育において「安心して学べる環境」作りを実現するには、生徒指導の能力向上を求めると共に、免許状主義を一部修正して教科における専門知識の不足を補うために専門家の力を借りられるようにする。問題行動の予防までは教師が行うが、専門的援助が必要となればセラピストの力を借りる。管理指導は教育課程外の間接的なサポートを目的にして行うこととし、必要に応じて専門家の力を借りる。シェアリング・エコノミー(Society5.0)で食べていけるのは、専門家ではなく、超専門家か知識を組み合わせて新しい価値を創造できる人だと言われている。誰もが利用でき、公的にシェアされる財となった知識を用い、コミュニティで創造性を発揮することは、子供達を社会に巣立たせる学校で実践すべきだろう。そうすれば、仕事が無くなっていく社会を肌で感じ、仕事の抱え込みや無駄と思える係仕事や事務分担は自ずと減ると考える。これからの生徒指導・学校教育の在り方は、イギリスを参考に教員養成システムを変革し、アメリカ型の分業・教師評価を参考に社会のニーズに即した日本型の改良を提案したい。

参考文献

[1] 文部科学省:学習指導要領のくわしい内容,平成29年(令和元年10月8参照)

[2]櫻井茂男:自立的な学習意欲の心理学,真信書房,2017.

[3]内閣府 : 第5期科学技術基本計画,pp10-12,2017.

[4]ジェレミー・リフキン:限界費用ゼロ社会,NHK出版,2015.

[5]高橋陽一:新しい教師論,武蔵野美術大学出版局,pp75-93,2014.