好きな授業の学習効果は高いが、嫌いな教科は、勉強してもなかなか学習効果が上がらない。好きな授業で得た知識も、使わなければ忘れてしまう。受験生ではなくても、「記憶力」の維持・向上は、多くの人の関心ごとである。一方で、忘れられない記憶に悩んでいる人もいる。

人間が触れた情報は、最初に海馬に送られて一時的に保存・管理され、海馬に同じ情報が送られ続けると脳が重要な情報であると認知して、扁桃体、前頭前皮質へと送り長期記憶として固定させる。学習後1日の記憶想起では、「海馬→大脳嗅内皮質→扁桃体」の神経回路が使われるが、学習後2週間以降になると、海馬は使わず「前頭前皮質→扁桃体」の神経回路が使われるようになる。海馬はエピソード記憶の形成や想起に重要な脳領域だが、記憶には扁桃体が強く関わっているのである(北村ほか、 2017)。

扁桃体は五感を通して脳に入った情報に対し、情動と記憶処理について重要な役割を果たしている。人を好きになったり、嫌いな食べ物があったり、暗闇を怖がったりするのは、扁桃体の働きによるものであり、この好き嫌いや快不快の感情を海馬に伝えている。そのため、心を大きく揺さぶるような出来事は、いつまでも記憶にとどめられるのである。しっかり記憶しようと思ったら、扁桃体の情動処理の働きを利用することが大切であろう。好奇心を持つなど、感情をうまくコントロールして脳をだますことができれば、学習効率は格段に上がると思われる。

扁桃体が活動異常を起こすと、様々な脳内トラブルを発症することになる。その一つにPTSD(心的外傷後ストレス障害:Post-Traumatic Stress Disorder)がある。PTSDとは、実際にまたは危うく死ぬ、深刻な怪我を負う、性的暴力など、精神的衝撃を受けるトラウマ(心的外傷)体験に晒されたことで生じる、特徴的なストレス症状群のことを指す(DSM-5)。主な症状としては、トラウマ体験をした人が、ふとした拍子に怖い体験を思い出して不安や緊張が続く、めまいや頭痛がある、眠れなくなるなどがある(厚生労働省「みんなのメンタルヘルス」)。PTSDを発症した人では扁桃体や海馬が小さいことが知られていおり、もともと海馬や扁桃体が小さいことが、PTSDになりやすいリスクをもたらす可能性も指摘されている(Gilbertsonほか、2002)。扁桃体は、脳の警告アラームや煙探知機と呼ばれている。PTSDの人は、このアラームが常に鳴り響き、過剰に反応していると言われている。特にトラウマ症状と強く関係しているのは、恐怖記憶の中枢である扁桃体外側核である。本来、脳は一度恐怖を体験し、恐怖を事前に予測できるようになると、扁桃体中心核などのブレーキ回路が活性化して、さらなるトラウマ記憶が作られるのを防ぐ。しかし、このブレーキ回路がうまく働かないと、扁桃体外側核が活性化し、強固なトラウマ記憶がつくられるのである(Ozawaほか、2016)。この扁桃体外側核は、「2度あることは3度あるか」という判断にも関係していて、危機が去っても安心することができず、何度でも同じ目に遭うかもしれないという恐怖が生じる原因となっているのである(Madaraszほか、2016)。このトラウマを消せれば、終わりなき恐怖から解放されることになる。扁桃体外側核の内部には、楽しい記憶の細胞群と、嫌な記憶の細胞群が異なる領域に分かれて存在しており、互いに抑制し合っている(Kimほか、2016)。この、それぞれの記憶が同時に働かないという性質を利用すれば、過剰な恐怖記憶を抑制する治療法が見つかるかもしれない。うつ状態のマウスの楽しい記憶を活性化させることで症状を改善できるという研究もある。また、マウスの嫌な記憶の細胞群に青い光を照射すると、怖い経験を思い出さなくなる。このように処理したオスのマウスの海馬に光を照射しながら楽しい経験をさせると、「楽しい出来事の記憶」が作られたという研究もある(Redondoほか、2014)。つまり、嫌な出来事の記憶に使われた海馬の記憶を担う細胞(エングラム)をそのまま使って、「楽しい出来事の記憶」にスイッチすることができるということが証明されたのである。心に傷を負った方々の治療に役立ててもらいたい。