デザインというと、何かカッコイイもの、キレイなもののことと連想しがちだが、それは成果物に過ぎない。デザインはラテン語のdesignare(デシグナレ)が語源とされる。意匠と計画という2つの意味を含有するアングロサクソン系の言葉で日本以外でもそのまま使っている国は多い。自分はde(削る)+sign(形作る)とうラテン語でもあると解釈し、デザインとは成果物ができるまでの課程が大切だと考えている。デザイン行為を大雑把に言うと、目標を決めたら最小単位まで分解し、一つずつ組み立てていくことになる。その課程で新たな要素を結びつけて新たな価値を創造する。そのためデザインを行うには、あるものとあるものとの間につながりを感じる能力が必要で、「子どものような新鮮な視点で世界を見られるか」を意識することが大切なのである。デザインする目的は課題解決であり、目標とは課題の解決策になる。そして、まったく関係のないように見える情報どうしをとっさに結びつけ、課題を解決するのである。脳の本質に似ていないだろうか。

スポーツや芸術の分野で天才と呼ばれている人は、とりわけ空間認知能力が発達していると言われている。空間認識力の優れた人は、ものごとの全体像をぱっと把握し、本質を見抜くことに長けているとも言われる。そのため、物事の本質をとらえるチカラ「空間認識能力」を鍛えよう!などと推奨されることもある。デザイナーは、物体の位置・方向・姿勢・大きさ・形状・間隔など、物体が三次元空間に占めている状態や関係を、すばやく正確に把握・認識できる。空間認知や空間記憶は、主に海馬が作用し、海馬の神経細胞は生涯にわたり再生することができるが、そのためには海馬の神経回路を刺激しなければならない。その方法として有名なのが、軽いリズム運動と効果的な食事であるが、クイズやパズルも有用なのである。クイズやパズルは問題に挑戦することで自分の中の何らかの記憶を使う必要があり、新しい発見や新しい知識、記憶の連動が海馬の神経回路を刺激する。これは、デザイン行為も同じである。

このように脳を訓練していけば、直感が働くようにならないだろうか。「あ、できた!」には2種類ある。言語的・論理的思考で理路整然としている大脳皮質での閃きと、過去の経験から自然と生まれ、最終的に「答え」だけが意識に上がってくる基底核での直感である。基底核は本来、体を動かす機能に関わる場所で、訓練すると無意識かつ正確に直感が機能する(基底核が習得する)可能性はないだろうか。講義に基底核を絡めた内容が少なかったのは、個人的には少し残念であった。

以上のような観点から、デザインは万人に必要な教科ではないかと考えている。センスは学べるし、デザインは「カッコイイもの、キレイなもの」であるから、やり始めるきっかけになる。やり始めたらやる気は出る。脳は達成感を快楽として蓄えるから、一つひとつ組み立てていくデザインは最適である。発言したことを定着させて、それを実現するように行動する習性が脳にはあるので、制作前のプレゼンは重要かもしれない。脳や神経回路の発達、心理学における発達など、指導に生かせる講義ではなく、カリキュラムに結びつく講義は今回が初めてである。記憶と学習に関する脳の機能をザックリ見渡せたのはありがたい。H.M.の症例は大変興味深く、脳の役割や特徴を刺激するカリキュラムが開発できる可能性を感じた。最後に、「自分の研究についてどのように生かせると思うか」であるが、例えば「センスは良くなる」という多くの人が抱く希望を脳の機能に置きかえ、鍛え方をまとめるのはどうか。実用書とは違い、教員の使用に耐える科学的な知見と結びつけて、データベース化するのである。既にデータベースがあるのなら、是非知りたいところである。